気球に乗ってどこまでも!映画のヒロイン気分を味わって!
気球にはロマンがある。子どもの頃に大好きだった風船のお友達、夢中になった冒険の本のイメージ、非日常感にあふれる優雅な乗り物…気球は私にとって憧れの乗り物だった。
そんな空想の中の気球のイメージが具体的なイメージに変わったのは雑誌の特集記事。大好きな女優がアフリカを気球から眺めるというものだった。
気球からの景色ももちろん素晴らしかったけれど、朝日を浴びて輝く女優の表情がかっこよかった。そして地上に戻った彼女を待っていたのはシャンパン。シャンパンと軽食で気球の旅をお祝いするのだ。若かりし私にとってシャンパンは未知の領域。今まで抱いていた気球のイメージは冒険から一気に大人の乗り物へと変わっていった。
そんな気球への憧れから数年、トルコのカッパドキアで念願の気球に乗ることができた。
よし、これで私も大人の女性、とテンションが上がっていたのは前日まで。日の出前の集合時間に、朝に弱い私は完敗。おまけに太陽が出る前はものすごい寒さ。気球が膨らんでいくというロマンの塊のような光景を私はふわっとした気分で眺めていた。
そしてついに待ちに待った気球の旅。本当にこれで大丈夫なんだろうかと思うくらいシンプルな籠に乗り込んでいく。なんだかピクニックバスケットに詰められたお弁当になった気分だ。
気球が浮いた。
飛行機のように気合を入れて飛ぶ、というのではなく、ふわっと浮いた。浮いたまま流されていたら、飛んでいた、そんな感じ。窓も覆いもない、なんだか無防備な乗り物が当たり前のように空を飛んでいるのが面白かった。
と、私ののんびりした気持ちはバーナーのボオオオという凄まじい音で打ち消された。あまりにも大きな音なので、大丈夫だとわかっていても気球が燃えてしまうのではないかと怖くなった。きっと昔の冒険者たちも聞いていた音だろう。
気球からの景色は、地上からのものとまるで違っていた。普段見えないような高いところも、私たちが過ごしている世界もいつもとは全く違う角度から見えてくる。鳥の景色だ。アメリカのセドナで気球に乗ったときには、地面を鹿が駆け抜けていた。
そして空を見上げるとたくさんの色鮮やかな気球が、風船のように舞っていた。まるで大きな青いキャンバスに描かれた絵のようだった。
私は時折聞こえるバーナーの音にビクビクしつつも、気球の世界にどっぷりと浸っていた。
そして最後の楽しみは、大人の時間。地上でのシャンパンタイムだ。お酒が得意でないことが判明した現在でも、やっぱりわくわくする。美しい景色を思い出し、非日常の開放感を味わいながらのシャンパンはちょっぴり背伸びをしたようで格別だ。
旅先でつい気球に乗ってしまうのは、自分が映画のヒロインになった気分が味わえるから。昔見た女優の写真のように、私も朝日を浴びて輝いていると信じながら。