なぜ日本では誕生日の歌が「お誕生日おめでとう」ではなく「ハッピーバースデー」なのか?
前にいろいろな国の人と自国の誕生日の歌について話したことがあった。この歌が世界中でこんなにも歌われているのに驚いたし、何よりも言語が変わるだけで曲の持つ雰囲気がガラッと変わるのが面白かった。
私の番になりいつもどおり「ハッピーバースデー トゥー ユー」と歌い終わると、いろいろな国の人が不思議そうに尋ねた。日本では何で英語で歌うの?日本には誕生日を祝う言葉はないの?
言われてみれば、その通り。なぜ誕生日おめでとうという日本語があるのにハッピーバースデートゥーユーと歌うのだろう?子どもの頃から当たり前のように歌っていたので、そんなことを考えたことすらなかった。
その場では、日本語だとフレーズが長くて曲にうまく合わせられないから、日本語のアクセントで英語の歌詞を歌うことになったのかなぁと説明して納得してもらったけれど、本当の理由はわからない。少し間延びする気はするけれど、日本語の歌詞でもきちんと歌えるのに。
そう考えていると街なかに溢れているカタカナ語の数々が思い出された。日本語にはない概念を表現するために外国語を取り入れるのは自然なことだと思う。日本語で表現できるけれど、日本語だとちょっと重苦しいイメージになる、でも外国語だと少し軽い印象になる。そんなときカタカナ語は便利だ。あと日本語だと長過ぎるときもありがたい。
でも世の中には、なぜわざわざ英語にしたの?と首をかしげたくなるようなものがたくさんある。スローガンなど、どれだけの人にきちんと伝わっているのか疑問なものも多いし、そういうものに限って意外と日本語の方がしっくりしている気がする。
私は外来語を使うなとか、日本語を絶対使えなど言うつもりはないけれど(どちらかというと日本語が出てこなくて外国語で言ってしまうタイプだ)、でもたまには立ち止まって考えてみることも必要なのかなと思う。そこは日本語ではだめなのかと。