人間関係のしがらみに疲れたら、年賀状を卒業しよう!
年賀状から卒業した。とはいっても何枚かは出しているので100%の卒業ではない。でも出したくない相手に出すのをきっぱりとやめたので自分の中では卒業と言っていいと思う。
今まで私は年賀状を100通以上出していた。そのうちの9割以上が仕事関係者だった。もちろん仕事関係者からでも嬉しい年賀状はある。普段面白いことなんて何も言わないおじさんが家族とニコニコしながら写っている写真を見て、この人こんな表情をすることもあるんだと驚いたり。1年のダイジェストが書かれた年賀状を見て、その人の意外な趣味を発見したり。一言気の利いた手書きのメッセージが書いてある年賀状などは純粋に読んでいて面白かった。
でもほとんどの年賀状は単なる印刷物だった。中には差出人の名前を見て、この人誰だろうと頭の体操になるものもあるけれど(?)ほとんどはただの干支が印刷された紙、手紙ですらないものがほとんどだ。
そして届いた大量の紙を一枚一枚めくりながら、自分が出していない相手から来ていないか確認する。すると出てくる出てくる、もう顔も思い出せないような微妙な相手からの年賀状。向こうも絶対に私のことなんて覚えていない。でも一度年賀状を出して、そのままリストを更新せずに使っているだけなのだろう。この微妙な相手に年賀状を出すべきか、今後また仕事でかかわる可能性があるか考える。これが微妙にストレスだ。結局出しておいた方が気を悪くしないだろうと出す。もう、うんざりだ。
それでも仕事をしているうちはなかなか年賀状をやめる勇気がなかった。周りがそういう伝統行事を大切にしている社風だったこともあり、とてもではないけれどやめられる雰囲気ではなかったのだ。
しかし会社を辞めてからは、もう割り切って、出したくない相手には出さないことに決めた。微妙な相手とは言え、届いたものに対して返さないことに罪悪感は少し感じたが、どうせ向こうも私のことなど覚えているか怪しいものだと割り切ることにした。これを数年続けていると、我が家に届く年賀状の数が劇的に減った。ほとんどが煩わしい人間関係だったのだと、しみじみ思う。
年賀状を否定するつもりはない。でももし人間関係に縛られて出したくない相手に出し続けなければいけないのなら、年賀状を卒業してもいいと思うのだ。