試作品の試食を通して私が学んだこと
先日とある企業の試作品を試食し、感想を伝えるという機会があった。二種類の醤油を刺身につけて食べ、それぞれの味をレポートするというものだ。味覚の怪しい夫はともかく、自分なら醤油の違いくらいちゃんと伝えられると思っていたのだが、意外とこれが難しい。
まずは1つ目の醤油をつけてさしみをパクリ。今から食レポをする芸能人のように、全神経を醤油に集中して、これでもかというくらいゆっくり味わって食べてみた。あれ、集中して食べたせいか刺身の味は非常に濃厚に感じられたけれど、肝心の醤油が全くわからない。こんなはずではと思い、今度はたっぷりと醤油をつけて食べてみた。これだけつければ、さすがにわかるだろう。全神経を研ぎ澄まし、醤油を感じようとしながら食べてみる。しかし結果は、???。夫と二人で顔を見合わせてしまった。
レポートで答える内容はけっこう細かい。好きか嫌いかを五段階で評価し、その理由を記述する。そのほかにも五段階評価で、塩味、甘み、香り、後味、色などを評価しなければならない。夫と話し合いながら評価していったが、ほとんどが「まあ、こんなもんだよね」という無難な結果になってしまった。別に特にまずくもなければ、特においしいというわけでもない。こんなので本当に大丈夫なのか不安になりながらも、気を取り直して2つ目の醤油に取り掛かる。
2つ目の醤油は1つ目より若干色が濃い。1つ目とどんな風に違うのかドキドキしながら、集中して刺身をかみしめる。が、またもや夫婦で顔を見合わせる事態になってしまった。刺身の味はしっかり感じたものの、1つ目と2つ目で大きな違いを感じられなかったからだ。もしかして色が違うだけというオチではないかと思い、両方の醤油を直接舐めてみたところ、全く違う味だった。こんなに味が違うのに、刺身につけて食べると、刺身の味ばかり感じて醤油の違いがよくわからないのは何故だろう。結局2つ目の評価も「まあ、こんなもんだよね」という無難なものに落ち着いた。
今回のことで、自分の舌が思っていたよりもバカ舌だということに気付いたと同時に、普段ここまで味わいながら料理を食べていないことに気付いた。自分では味わって食べているつもりでも、意識の多くは他のことに向かっている。テレビの内容だったり、このあとやることだったり、食事と同時進行でいろんなことを考えている。今回全神経を刺身に集中して食べることで、普段よりも味を深く感じられたことは驚きで、大きな収穫だった。もっと食材に感謝しながら、しっかり味わって食べたいと思うことができたのだ。
そして今回痛感したのが、商品開発の人の存在だ。今回の試作品2つは恐らく、試行錯誤を繰り返しできた自信作なのだろう。それなのにバカ舌の私たちは「両方普通、どっちでもいいよね。強いて言うなら1つ目かな」という適当なことを言っているのだ。商品開発の人の苦労を考えると非常に申し訳なく思ってしまった。
どちらの商品が商品化されるのか、もしくはどちらも商品化されないのか、私には知るすべはないけれど、いろいろ考えさせられた試食だった。
すべての食にかかわる人に感謝。