所有するものが多くなればなるほど、大切にするのが難しい
先日タンスの中を片付けていて気付いたことがある。それは所有するものが多くなればなるほど、大切にするのが難しいということだ。
洋服の整理をしようとオフシーズンのセーターをタンスの中から取り出し、1枚1枚を念入りに見ていく。すると驚いたことに、ほとんどの洋服の元気がなかったのだ。くたっとした雰囲気、ちょこちょこと付いたしわ、みすぼらしい毛玉…。決して洋服をぎゅうぎゅうに詰め込んでいたつもりはなかったけれど、今まで洋服たちにひどい仕打ちをしていたんだと気付いて申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
人もモノもぎゅうぎゅうに詰められているよりも、ゆったり過ごす方が気持ちいい。限られた収納スペースでモノが増えると、どうしてもモノもリラックスできなくなってしまう。おまけに数が増えれば、それだけ1つ1つに目が届かなくなる。そう考えると所有するものは少ないに越したことはない。
そんな簡単なことはわかっているはずなのに、どうして私たちは所有したがるのだろうか?そう考えていくつか思い当たったことがある。「所有することで得られる喜び」「今は必要ないものの過去の思い出」「なかったら困るのではないかという未来への不安」こういったことから私たちはモノを所有してしまうのだろう。
しかし実際に私たちが必要なものの数はそこまで多くない。バックパックで長期の旅をしているときですら、困ったことはほとんどない。そんなことはわかっているのに余計なものをついつい所有してしまう。
さあ、片付けをしよう。自分が本当は何を求めているのか、どんなものに囲まれたいのか。片付けをすることは自分の心と向き合うことだから。