父にとって会社で集会所でときどき「でいさあびす」
デイサービスは夫の父にとって複雑な場所だ。まずデイサービスなんていうカタカナ語が覚えられない。昨日どこへ行ったのと聞くと、まず「どこかへ出かけたんかのう?」から始まって、自分の思いつく限りの場所の名前を挙げるが、そこにデイサービスという言葉が出てきたことはない。「デイサービスに行ったんじゃないの?」と聞いて初めて「そうじゃ、デイサービスじゃったかな?」と言う具合だ。
父にとってデイサービスはいくつもの顔を持つ。聞くたびにデイサービスを別の場所だと思っているようだが、一番多い答えが会社だ。父曰く、向こう(デイサービスのこと)が忙しいときに迎えの車が来て、ちょっと働いてくれんかの、と会社に連れて行くのだそう。80過ぎて働かせるなんてとご立腹だ。そのくせどんな仕事をしたのか聞くと「あれをちょっとこっちへ、これをちょっとこっちへと、いろいろよ」となんとも曖昧な答えが返ってくる。
あまりにも腹が立ったのだろう。でも日にちの感覚がないので、いつ働かされるかわからず不安だったのか、デイサービスに行く日のカレンダーに「会社」といくつも書き込んでいた。ここまでくると執念だ。しかしその字は弱々しく震えている。おまけに漢字も微妙に間違っている。こんな会社があったらすぐに倒産しそうだなと思わず笑ってしまった。
ある日ぶうぶう言いながらも、デイサービスでゴルフをしたと言っていたので(よく聞いてみたらボウリングだった)、「ボウリングができる会社って、すごく楽しそうだね」と言ってみた。すると少し考えて「そうじゃのう」と納得していた。
最近はデイサービスのことを会社と言うだけでなく、集会所だと思うようにもなった。集会所に行って、おじいさんたちといろいろおしゃべりをするんだそうな。会社より楽しそうでよかったよかった。でも周りの反応で何か変なことを言ったと思うのだろう。最初は集会所へ行ったと言っていたのが、集会所へ立ち寄ってから会社に行った、デイサービスへ行ったと言うことがその都度変わる。それでも集会所は絶対に外せないポイントのようだ。
先日はデイサービスの職員さんを先生だと思っているようだった。「しっかりした女の先生がいて、今日は何日ですか?何曜日ですか?と、わしらにいろんなことを聞くんじゃ。おじいさんたちは答えられない人ばっかりでな(自分のことは棚に上げている)。そうしたら先生がいろんなことを教えてくれるんじゃ」
彼にとってデイサービスは不思議なものだ。きっとどこへ連れていかれているのか不安なのだろう。だから頑張って自分の経験と照らし合わせて、いろんなものを当てはめて安心しようとしているに違いない。あるときは会社で集会所で、ときどきご飯のおいしい「でいさあびす」
父にはどんな世界が見えているのだろう。デイサービスが七変化してもいいけれど、どうせなら彼にとって楽しい場所に変わってくれたらなと思う。