自分にとっての「当たり前」の価値を認めよう!
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東京から移住して周りの人にこの土地のいいところを尋ねたら、みんな口をそろえて「そんなものは何もないよ」と言う。でも私のように外から来た人にとっては素晴らしいところ。
東京にはなかった大きな空があって、夕日が沈むのが見える。そう伝えると地元の人には、そんな当たり前のこと何を言っているの?という顔をされる。でも東京に住んでいたときは、大きな空と夕日は出かけないと見られない特別なものだった。ビルの間から見る空はとても小さく、夕日は見えないどこかへ沈んでいく。大きな空と沈む夕日は私にとって特別なものなのだ。
昔長野に住んでいたとき、家から高い山がたくさん見えるなんて当たり前だと思っていた。他の場所に住んで初めて、家から山が見えるのは贅沢なことだったのだと知った。ずっと同じ場所にいると当たり前なことが多すぎて、当たり前なことの価値に気付けない。周りの素晴らしさを見過ごしてしまう。
でもそんな自分にとっての当たり前に憧れてやって来る人もいる。逆に自分が憧れて旅するところにも住んでいる人はいて、その人たちはきっとなんでこんなものを見に来るのかと思っている。
そう考えると自分にとっての当たり前は宝の宝庫。今いるこの場所に旅してきたと考えると、いつもの見慣れた風景も少し変わって見えるはずだ。
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