コロナ禍の今だから是非読んでみたいカミュのペスト 難解な作品のハードルを下げるには?
コロナ禍の今こそ読みたいカミュのペスト
カミュのペストという小説を知っているだろうか。コロナ禍で再び脚光を浴び、書店にたくさん並んでいたので知っている人は多いかもしれない。私もこのコロナ禍でペストを読んでいろいろ考えさせられた一人だ。小説の中の出来事と現在のコロナを重ね合わせて読むことができる、今のこの時期に絶対読んだ方がいいよ、と周りにも勧めまくった。
それくらいおすすめの本ではあったけれど、その一方でこうも思った。どれだけの人が最後まで読めたのだろう、と。もしかしたらカミュのペストを読む人は文学愛好家ばかりで、こんなことを考えるのはばかげているのかもしれない。でも中には本屋でイチオシだし読んでみるかと手に取ったものの、読みにくくてやめてしまった人も多いのではないかと思うのだ。
確かにカミュのペストが書かれたのは1947年、かなり昔だ。文も決して読みやすいとは言い難い。おまけに単なる出来事の描写だけでなく、不条理など取っ付きにくい概念なども描かれているため、少しでも気を抜くと付いていけなくなってしまう可能性も否定できない。
そんなわけで真正面からぶつかると玉砕してしまいそうなカミュのペストの敷居を少しでも下げられないかと考えたのが、現代のコロナ禍との共通点を見つけながら読むというもの。文学愛好家の方からはコラっと怒られそうではあるけれど、個人的にはペストに親しみを持てるのではないかと思う。
そもそもカミュのペストはどんな話なのか?
1947年にカミュによって発表されたペストはどんな話なのか。舞台はペストの脅威にさらされた北アフリカのアルジェリアの港町オラン。感染拡大を防ぐため外界から遮断された中、人々はペストと闘う。そしてペストは終息し、町には喜びの声が上がる。
非常に簡単に書いたけれど、なんだか今のコロナ禍となんだかそっくり。
ペストでは冒頭ネズミが大量に死ぬ。なんだかまずいことが起こっていると感じながらも、なかなかピンと来ない人々。コロナの初期段階を思い出す。
政治家と医師との間に温度差があるのは今と同じ。ペストでも医師が早急に手を打つことを提案しても行政の判断は楽観的だった。
その後オランが閉鎖され、ようやくペストが自分ごととなるものの、それでもなかなか理解できない市民たち。死者数を聞いても憂うべき出来事には違いないが一時的なものという印象を持ち続けていた。毎日の感染者数を聞いてヤバいと思いつつ、どこかマヒしている現状と重なる。
ペストでは生活が外部から遮断され自暴自棄の行為に走るものが描かれている。現在自粛に反発していろんなことをする人がいるのも同じだ。
他にもペストでは、不測の感染を予防しようとする人がハッカのドロップを買い求め、薬屋からハッカドロップが姿を消したという記述が出てくる。日本でもうがい薬や海藻などがコロナに効くという報道で店から在庫がなくなったことを思い出した。
ペストの中でも物価が高騰し貧富の格差が起こる。ペストという病気は誰でも平等に襲うが、持つものと持たないものとの間に不公平感が生まれていく。今のコロナ禍でも当てはまることばかりだ。
この他にもカミュのペストは70年以上昔の話なのに今となんだか似ていると思えるところがたくさんある。そういう点ではいろいろ進化しても人類は全く成長していないような印象すらある。そんなペストとコロナ禍との類似点を見つけながらなら少しは気楽にカミュのペストを読むことができるかもしれない。
それでもやっぱりカミュのペストは厳しい!という人は漫画を活用してみてはどうだろう。60分でわかるカミュの「ペスト」は漫画と解説がバランスよく書かれているのでおすすめだ。
最後にペストのラストを紹介して終わりたい。このラスト、なんだか今のコロナを暗示しているようで、私はぞくっとした。
(ラストを知りたくない人はここでストップしてほしい)
ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びそのねずみどもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうことを。